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山陰経済ウィークリー「さんいん企業物語」③

山陰中央新報社さん発行の山陰経済誌「山陰経済ウィークリー」に掲載頂きました。

「さんいん企業物語」というコーナーで、4週連続掲載のものです。

 

 

以下、内容を転載します。


【企業物語】藤本米穀店(3)「支店の開設」

利便性考えたコメ販売の拠点
スーパー店内に「お米の広場」

(有)藤本米穀店(松江市東本町、藤本真由社長)の4代目で、現在は会長を務める藤本真一郎(63)が、コメ販売の仕事を始めた1978(昭和53)年は食糧管理法があり、農家から直接コメを買うことができない時代だった。それでも真一郎は県内の生産者とのつながりは欠かせないものとの思いから県内の産地を巡っては交流を深め、友好的な関係を構築していった。中でも、消費者に受け入れられる上質なコメの販売を目指して発足した仁多有機研究会での取り組みは、生産者との絆をより強めるものとなった。

 凶作時にも真摯な対応

生産者とのつながりを着々と構築していった真一郎だったが、1993(平成5)年に難局に直面した。冷夏の影響でコメが極度の凶作に陥ってしまったのだった。

凶作は県内にとどまらず国内各地に広がっていたため、海外からコメを輸入する措置が取られることになった。その際に真一郎は、飲食店など取引先へ直接説明をしようと考えた。ただ、一軒一軒回っただけでは数カ月の時間を要することが明らかなこともあり、地元のホテルで説明会を開くことを決めた。

説明会には取引先など数百人が集まり、今回の凶作の背景や海外産のコメの輸入に至った経過などを丁寧に説明した。真一郎は「外国産米は未知のもの。取引先も商売にかかわることなので、藤本米穀店としても説明義務があると思った」と当時を振り返る。

凶作から4年後の1997(同9)年。生産者や取引先との信頼関係を確かなものにしていった真一郎は、消費者の利便性を考え、松江市東朝日町にコメを販売する「米工房ふじもと」をオープンした。藤本米穀店では平日だけ営業しており、日曜・祝日も販売に対応できるようにとの思いからだった。

しかし、コメ販売単独での支店「米工房ふじもと」の運営は難しく、数年後に取りやめることになった。だが、消費者第一の精神を大切にする真一郎は、そこで止まることはなかった。

 

店内に精米機を整備

いろいろな可能性を探りながら、次に考えたのが休日に関係なく営業するスーパーマーケット店内への出店だった。そうして2005(同17)年、松江市黒田町のマルマン黒田店の一角に「お米の広場ふじもと」が誕生した。

「スーパーの中に米屋がやって来た」のコンセプトで運営。店内に精米機を整備し、「玄米」「三分づき」「五分づき」などお客さんの要望に応じてその場で精米し販売をしている。消費者とのつながりを大切にする藤本米穀店にとって重要な拠点であり、真一郎の長女の博子(35)がオープンから現在まで店長を務めている。

店内での販売業務の傍ら、県内産米の魅力だけでなく洗米や炊飯、蒸らしなどご飯をおいしく炊くポイントについてお客さまに伝える機会も多いという博子は「来店をきっかけにお米に対しての興味を深めていただいている」と手応えを感じている。

 

「園児の頃から家業で」

お米の広場ふじもとという新たな販売拠点を設け、売り上げにつなげた藤本米穀店。08(同20)年には真一郎の長男で現在社長を務める真由(37)が関西からUターンし、入社した。

真由は高校卒業後、関西学院大学商学部に進学。軽音サークルのメンバーでバンドを組み、演奏活動にも熱を入れていた。大学卒業後は関西に残り、食品卸会社に就職し配属された物流の部署で仕事に打ち込んだ。

大学生から社会人となっても関西で生活していた真由だったが、「園児の頃から家業で働きたいと思っていた」と将来的に藤本米穀店で働くことを心に決めていた。

真由が物心付いた頃は、藤本米穀店の1階が店舗で店の奥が住居だった。保育園に通っていた時も、帰宅するとそこには働く家族や従業員の姿があり、生活空間の中にはいつも米屋があった。商売を身近に感じることのできる環境が、藤本米穀店の仕事に興味を深める原点でもあった。

真由は藤本米穀店に入社から間もなく専務となり、真一郎をサポートしながら店の運営に関わる業務を一つ一つ覚え込んでいった。

父親の真一郎は、島根県内の産地を巡り、選び抜いた「こだわりの米」の販売に力を入れていた。奥出雲町馬木地区で仕入れ、1989(平成元)年から販売を始めていた仁多米コシヒカリ「まき」は、目玉商品として今も人気を集めている。

真由は、「上質のコメを消費者に」の思いを貫く真一郎の信念に深く共感し、それを受け継ごうと島根県内の産地を巡ってはコメの品質を確かめ、さらに生産者とのつながりも深めていった。

父親の背中を追い、積極的に店を切り盛りするようになった真由だが、入社から4年が経過した頃から、お客さまに喜ばれ、贈答用にも使えるような新商品が必要と考えるようになり、開発に力を注いでいった。それから数年後の16(同28)年、真由は結婚、社長就任という大きな節目を迎えることとなった。